2014年04月23日

週報No.39 4月11日号

雑誌月間
■会長の時間
井上 勝己会長
司会進行 千葉 康博幹事
歌  唱
 君が代、海行かば
髙森 郁子ソングリーダー
卓  話  者 公益社団法人国民文化研究会
岸本  弘氏
熊本火の国R.A.C. 春澤 清乃会員、齊藤 友樹会員
会長の時間      井上 勝己会長
こんにちは。3週間ぶりにこの席に立ちました。1週目は祝日、2週目は仕事の関係で。3週目はプライベートの関係で、出席できませんでした。その間、大橋副会長には大変お世話になりました。ありがとうございました。
さて、熊本市内の桜の花も、見渡してみますと、ほとんど散ってしまったようでございます。ここ数日で随分と温かくなってまいりました。私事ではありますが、我が家にあります山桜も、先週の初めには、ほとんどその淡い花びらを落としてしまいました。ただ、その花びらで敷き詰められた所が、また、何とも言えない風情を醸し出し、私ども家族の心を癒すかのように、晴れ晴れとした清々しさを、私たちに、感じさせてくれました。
それでは、ご来訪者のご紹介を致します。
本日の卓話者でございます、公益社団法人国民文化研究会 岸本 弘様でございます。岸本様は、本日ご同席をいただいております白濱様、折田様のご紹介により、ご多用の中を富山から、九州の地、熊本の私たちのクラブに、本日の卓話の講師としてご来訪をいただきました。遠路はるばるご来訪を賜り、誠にありがとうございます。熊本クラブを代表致しまして、心からの御礼を申し上げます。
また、本日は岸本様をご紹介いただきました、同国民文化研究会の2名の方にも御同席をいただいております。ご紹介いたします。白濱 裕様でございます。つづいて、折田豊生様でございます。白濱様は、当クラブには二度、卓話者としてご来訪をいただいております。ご存知の方も多いかと存じます。折田様は、来月5月の第4例会日に卓話をしていただくことになっております。本日のご来訪、誠にありがとうございます。
本日はまた、熊本火の国ローターアクトの皆さんにお見えをいただいております。ご紹介を致します。お名前を申し上げますので、その場でお立ちいただければと存じます。春澤様……齊藤様でございます。いつもいつも、熊本クラブのお手伝いを一所懸命にやっていただき、本当にありがとうございます。
それでは、会長の時間でございます。一言ご挨拶を申し上げます。
一つ目です。
今週8日の火曜日、広報委員会・スマイル委員会・クラブ会報委員会の三合同委員会を開催していただきました。各委員長のみなさんをはじめ委員の皆様には、ご多用の中、お集まりをいただき誠にありがとうございました。各委員長さんには、今後の事業予定を含めて、それぞれの委員会の中間報告をして頂きました。進捗状況も良く、とても喜んでおります、その後、夕食をとりながら、皆さんとの大変良き歓談のひとときを過ごさせて頂きました。渡邊委員長、大谷委員長、中川副委員長をはじめ、各委員会の皆様に心からの御礼と感謝を、この場をお借りし申し上げます。本当にありがとうございました。とても楽しかったです。
二つ目です
先週は廣川会員に、伊勢神宮参拝の行程表を配布頂き、皆様方にご案内をしていただきました。藤崎八旛宮の権宮司でございます岩下通弘先生に、神宮にご同行頂いての特別参拝となります。是非この機会をご利用いただき、お時間の許される会員のご参加を、心からお待ちをしております。ご参加いただける方は、私または廣川様まで、来週の18日金曜日の例会までに、お申し出を頂ければと思っております。どうぞよろしくお願い致します。
三つ目です。
本日の卓話者・岸本様は、本年度当初第1回例会の会長挨拶で皆様にご紹介いたしました『朗読のための古訓古事記』を編集・発行されている方でございます。冒頭申し上げました通り、私が白濱様、折田様にご相談をし、お願いを致しました。岸本様には、とてもお忙しい中にもかかわらず、快くお引き受けをいただき、とても感謝をしております。ありがとうございます。これからの熊本を、日本を担って行かれる若い人たちに、古事記に触れることによって、本来の学問とは何かを、少しでもつかみ取っていただく機会となればうれしい限りでございます。今日は本当にありがとうございます。どうぞ宜しくお願い致します。
また本日は、卓話の資料とは別に、岸本先生の先生に当たります長内俊平先生のご著書『文化と文明』を、岸本先生から会員の皆様へ贈呈をしたいということで配布をさせて頂いております。受付でお受け取りになられたと思いますが、まだお受け取りになっていない方は、帰りに是非お受け取り頂きたいと思っております。特に、当クラブの若い会員の方々、また本日ご来訪いただいておりますローターアクトの皆様、ご自宅に帰られてから、ゆっくりとしたお心で、是非ご一読いただければと存じます。先生の、若い人たちに伝えたいお心が、たくさん詰まっていると思います。どうぞよろしくお願いを致します。
またもう一つ、卓話の資料とは別に、一冊のご本をご紹介させて頂きたいと思います。皆様方のテーブルの上にご案内しています『小林秀雄・学生との対話』というタイトルの書籍です。小林秀雄先生が、約40年から50年前に、講義の中で学生たちに語られたものを、今般、文字化し、一冊の書籍として刊行したものです。お手元に配布しております資料の通り、この書籍を、朝日新聞が大変大きく取り上げ、紹介をしています。本当にとても良い本でございます。私も、もちろん、読んでおります。いや、講義録は何回も何回も、私、聞いております。今、こうやってここで、私が当クラブの会長職が務まるのも、小林先生のお蔭だと思っております。皆様方の子供さんたち、あるいはお孫さんたちに、是非この本をご推薦いただいて、ご一読頂きますことを、心から念じる次第でございます。どうぞ宜しくお願い致します。
4つ目です。
あまり時間がありませんが、今日の歌唱には、私が「海ゆかば」を、高森ソングリーダーにお願い致しました。本日の卓話のテーマが「『海道東征』にちなんで」ということでしたので、これに関連するものとしては、最もふさわしいと判断を致しました。交声曲『海道東征』の作詞は北原白秋先生、作曲は信時潔先生でございます。「海ゆかば」は信時潔先生の作曲になります。また、作詞は、皆様方ご存知のとおり、大伴家持です。これは万葉集巻十八の中にございます。このような事情から、今日は「海ゆかば」を皆様方と一緒にご唱和させて頂きました。本当にありがとうございました。
以上をもちまして、会長挨拶に代えさせて頂きます。

入会2ヶ月以内会員紹介      千葉 康博幹事
秋岡 廣宣(熊本放送)

表彰状伝達      井上 勝己会長
第2720地区職業奉仕部門部門長表彰 吉村圭四郎会員

週報No.39 4月11日号

出席高齢会員(85歳)+永年在籍会員(在籍50年)
田尻 邦雄会員

週報No.39 4月11日号


ロータリー希望の風奨学金チャリティバザー御礼
熊本火の国R.A.C. 齊藤 友樹会員


週報No.39 4月11日号

■出席報告
出席委員会



■幹事報告
千葉 康博幹事

・R.I.第2720地区 赤山武興ガバナーより国際大会参加についてのお尋ね
・公益財団法人ロータリー米山記念奨学会より米山奨学生「奨学金送金カレンダー」のオリエンテーション開催日の訂正
 大分 4月20日(日)
 熊本 4月12日(土)が正しい開催日です。
・本日は例会終了後、定例理事会がございますので理事・役員の方はよろしくお願い致します。
◎来信案内
・熊本県国際協会:
熊本県国際協会広報誌「VOICE」Vol.59の送付について
平成26年度熊本県国際協会総会の開催等について
◎例会変更
・熊本中央R.C. 5月2日(金)の例会は、定款第6条第1節に基づき取り止め
・熊本東南R.C. 4月30日(水)の例会は、クラブ定款第6条第1節に基づき取り止め
・熊本北R.C. 5月1日(木)の例会は、クラブ定款第6条第1節に基づき取り止め

■スマイルボックス
櫻井 貴浩委員

井上 勝己、千葉 康博、中村 展教各会員  本日は、卓話のため、国民文化研究会の岸本 弘様にご来訪いただき、また白濱 裕様、折田豊生様にもご来訪いただいております。卓話を楽しみにしております。
吉村圭四郎会員  国文研会員の岸本 弘様のご来訪を心から歓迎致します。
中川 成洋会員  私ども野村證券では半期ごとに成績優秀社員を全国規模CEO表彰と称して表彰する制度があります。今回、熊本支店から2名の表彰者が出ました。しかも地元採用の転勤のない女性社員2名です。本当に熊本の女性はよく働く! 働き者の熊本女性に敬意を表してスマイルします。
池上 道夫会員  昨年の10月11日に熊本ロータリークラブに入会させて頂いて、早いものでもう半年になります。暖かく迎えて下さった会員の皆様に感謝してスマイルします。
櫻井 貴浩会員  6日の地区研修・協議会は、次期委員会担当の皆様、お疲れ様でした。次年度も、大丈夫であると確信致しました。夕食を御一緒出来なくて、おわびのスマイルです。

■本日の卓話
卓話者紹介      木下  修例会プログラム委員長

岸本  弘様
・昭和20年生まれ
・富山大学工学部卒。長く工業高校で教鞭。
・「朗読のための古訓古事記」を出版(平成23年)

「「海道東征」にちなんで」
公益社団法人国民文化研究会 岸本  弘氏


週報No.39 4月11日号

先程来、井上会長、また木下様より、たびたび非常に丁重・懇切なご紹介を頂きまして、誠にありがとうございました。
私、この会場に参りましたが、非常に驚いております。
「定刻になりました」、という声が響いた途端に、皆様がさっとお立ちになって、国歌の斉唱が始まる、あっ、国歌の斉唱が終わったなあと思っていると、今度は「海ゆかば」の斉唱が、また2回繰り返して行われる、というようなことにも非常に驚きましたし、そして、こういったことを申し上げるのは失礼かもしれませんが、ここの会場に入りましたら、非常にお若い方のお顔がたくさん見える、そして、そのお若い方々が、単なるお若い方々ではなくて、それぞれ企業の第一線に立って働いておられる、その傍ら、こうしたロータリークラブの活動にも、今ほどの東日本大震災の募金のこともありましたが、なさっておられる、ということを、大変感心していた次第でございます。
今「海ゆかば」が斉唱されましたが、これは大伴家持の作詞、それから作曲が信時潔となっておりまして、私が、今日、お話しを申し上げようと思っております『海道東征』、これは熊本に非常にゆかりの深い北原白秋の作詞であり、そして信時潔の作曲でございますので、そこのところの舞台設定も非常によくやって頂いたような感じで嬉しく思っております。またこの大伴家持というのが、私は富山県の人間でございますが、越中富山の国司を長くしておりまして、青年時代の生き生きとした時代を富山県で過ごしまして、この大伴家のことだてを、あの歌に取り入れたのも、確か、越中国司在任中のことではなかったかと思います。
まあ、そういうことで、あれもこれもと、非常に感動しているわけでございます。
限られた時間でございます。それでは本題の方に入らせて頂きたいと思います。

さて産経新聞の報ずるところによりますと、去る2月11日の建国記念の日(紀元節)に、熊本県立劇場に於いて交声曲(カンタータ)「海道東征」が1,300名の聴衆を魅了したとのことでありますが、皆さまの中にも、当日の公演に出かけられた方も多かったのではなかろうかと思っております。中にはよくご存じでない方もおられるかもしれませんので、お手許に配布いたしました産経新聞の記事をあとでご覧いただきたいと思います。
これは紀元2600年、つまり初代の神武天皇がご即位されてから2600年にあたります昭和15年に、そのことを奉祝するものとして作詞・作曲されたとのことであります。
そのことを私も熊本の友人から聞きまして、インターネットなどで少し調べておりましたが、なかなかこれはといった北原白秋の正確な元の歌詞を見つけることができなかったのです。それでも地元富山の友人が苦労をして、ほぼ元の形に近いものを復元してくれました。北原白秋が熊本に生を享けたことも、最近になってようやく知ったことであります。
その友人の復元してくれた歌詞を手にして、あらためてYouTubeに公開されております戦前のレコードに聞き入りました時、本当に涙のこみあげてくる思いがいたしました。
この感動はいったいどこから来るのだろうかと考えてみました時、それは北原白秋と、「海ゆかば」も作曲しております信時潔(のぶとき きよし)いう2人の巨匠が、心魂を傾けて作詞・作曲した曲であるからということは言うまでもないことでありましょう。
さらに言えば、北原白秋や信時潔を含めまして、神話を神話として真正面から受け止めていた当時の国民の心が、痛いほどに私の心を打ったとも言えるのではないかと思うに至りました。つまりそこには、神話を真正面から受け止めて疑うところがないのです。

「海道東征」
ご存知の方多くおられましょうが、ここで「海道東征」の概略を申し上げておきますと、日向(ひむか)の高千穂宮におられました、のちに大和に至って初代の天皇になられた神武天皇が、日向を発して、日向灘・豊後水道・瀬戸内海とたどって、難波の「青雲の白肩の津」に上陸されるまでの行軍の様子を、「古事記」や「日本書紀」の記述に基づいて、北原白秋が8章にわたる長詩に作詞をし、それに信時潔が曲を付けたものであります。
お手許の資料の1枚目には、その第一章「高千穂」だけを書きだしておきました。

それではその第一章を読んでみます。

海道東征
作詞 北原白秋
作曲 信時 潔

第一章 高千穂

神坐(かみま)しき、蒼空(あをぞら)と共に高(たか)く、
み身坐(みま)しき、皇祖(すめらみおや)。
 はるかなり我が中空(なかぞら)、
窮(きは)み無し皇(すめら)産霊(むすび)、
いざ仰げ世のことごと、
天(あめ)なるや崇(たか)きみ生(あれ)を。

国(くに)成(な)りき、綿(わた)津(つ)見(み)の潮(しほ)と稚(わか)く、
凝(こ)り成(な)しき、この国(くに)土(つち)。
 はるかなり我(わ)が国(くに)生(うみ)、
おぎろなし天(あめ)の瓊(ぬ)鉾(ぼこ)、
いざ聴(き)けよ、そのこをろに、
大(おほ)八(や)洲(しま)騰(あが)るとよみを。

皇(み)統(すまる)や、天(あま)照(て)らす神(かみ)の御(み)裔(すゑ)、
代(よ)々(よ)坐(ま)しき、日向(ひむか)すでに。
 はるかなり我が高(たか)千(ち)穂(ほ)、
かぎりなし千(ち)重(へ)の波(な)折(をり)、
いざ祝(ほ)げよ日(ひ)の直(ただ)射(さ)す
海(うみ)山(やま)のい照(て)る宮(みや)居(ゐ)を

神(かみ)坐(ま)しき、千(ち)五(い)百(ほ)秋(あき)瑞(みづ)穂(ほ)の国(くに)、
皇(すめ)国(ぐに)ぞ豊(とよ)葦(あし)原(はら)。
 はるかなり我(わ)が肇(はつ)国(くに)、
窮(きは)み無(な)し天(あま)つみ業(わざ)、
いざ征(た)たせ早や東へ、
光(みち)宅(た)らせ玉沢(みうつくしび)を。

棒読みをするだけでは実感がわかないと思いますので、4つの小節に分かれております3番目と4番目の小節を、録音したものを持ってまいりましたのでお聞きいただきたいと思います。(約3分)

それでは1番目の小節に戻って、その内容を見てゆきたいと思います。
最初の小節には最初の神々がご出現になった「天(あめ)地(つち)の初発(はじめ)」が描かれていると思います。これを「古事記」の原文で申し上げますと、

天地(あめつちの)初発(はじめ)の段(くだり)
天地(あめつち)の初発(はじめ)の時(とき)、高天原(たかまのはら)に成(な)りませる神(かみ)の名(みな)は、天(あめ)之(の)御(み)中(なか)主神(ぬしのかみ)、次(つぎ)に高(たか)御(み)産(む)巣(す)日(びの)神(かみ)、次(つぎ)に神(かみ)産(む)巣(す)日(びの)神(かみ)。此(こ)の三(み)柱(はしら)の神(かみ)は、並(みな)独(ひとり)神(がみ)成(な)り坐(ま)して、身(みみ)を隠(かく)したまひき。
次(つぎ)に国(くに)稚(わか)く浮(うき)脂(あぶら)の如(ごと)くして、くらげなすただよへる時(とき)に、葦(あし)牙(かび)の如(ごと)萠(も)え騰(あが)る物(もの)に因(よ)りて、成(な)りませる神(かみ)の名(みな)は、宇(う)麻(ま)志(し)阿(あ)斯(し)訶(か)備(び)比(ひ)古(こ)遅(ぢの)神(かみ)、次(つぎ)に天(あめ)之(の)常(とこ)立(たちの)神(かみ)。此(こ)の二(ふた)柱(はしら)の神(かみ)も独(ひとり)神(がみ)成(な)り坐(ま)して、身(みみ)を隠(かく)したまひき。

今申し上げましたところは、お手許の資料にないところで失礼いたしました。実は「古事記」について私はこんなふうに考えております。
「古事記」という書物は、時には文字を見ないで耳からお聞きになるのもよかろうと思うのです。中国大陸から漢字が伝わってくるまで日本人は文字を持っておりません。文字がないからすべてのことを口伝えで子孫に伝えました。耳から聞いたままに、また言葉として語り伝えなければならない。その緊張感を私どもは果してどこまで想像できるでありましょうか。

私が富山県で若い時に、初めて先生から「古事記」を聞いた時もそうでありました。先生は角川文庫本か岩波文庫本をお持ちでありましたが、聞いている私どもは何のテキストも持っていなかったのです。今のように便利なワープロもありません。コピー機もありません。それでも私どもは目を丸くして先生のお話に聞き入っていたのです。それはヤマトタケルノミコトを中心とした、「古事記」中巻のお話でありました。

ヤマトハ クニノマホロバ タタナヅク アオカキヤマ ゴモレル ヤマトシ ウルハシ

この倭建命の絶唱ともいうべき歌謡の一節は、「海道東征」の第二章「大和思慕」にも引用されておりますが、私どもが初めてこの一節に耳を傾けたとき、話をされる先生も、聞き入る私どもも、その感動に一体となって浸っていたように思います。
かように「古事記」とは、声に乗って発せられ、耳を傾けて受け止めるべき古典であると考えております。

さて今申し上げました「古事記」の原文では、天地がまだよく出来上がっていないときに、高(たか)天(まの)原(はら)というところに忽然と三(み)柱(はしら)の神、アメノミナカヌシノカミ・タカミムスビノカミ・カミムスビノカミがご出現になった。次いで葦の芽が伸びるような勢いでウマシアシカビヒコヂノカミがご出現になり、次にアメノトコタチノカミがご出現になった。そんなところから「古事記」といふ物語は始まるのです。
「タカミムスビ」「カミムスビ」という二柱の神名に含まれます「ムスビ」という言葉が、「海道東征」に「皇(すめら)産霊(むすび)」と表現されている言葉に当たるように思います。これが4番目の小節で「窮(きは)み無(な)し天(あま)つみ業(わざ)」という表現につながっていくように思いますので、お心に残しておいていただきたいと思います。

今申し上げました原文の五(いつ)柱の神々に続いて、次に「神(かみ)世(よ)七(なな)代(よ)」と呼ばれる十(と)柱(はしら)の神々がご出現になります。その十二柱の神々の最後にご出現になったのが、イザナギノミコト・イザナミノミコトという二柱の御夫婦の神であります。
そしてこのイザナギノミコト・イザナミノミコトは、最初にご出現になられた神々の御命令によって、「国生み・神生み」という大事業を展開されることになるのです。その発端は「古事記」の原文では次のように語られます。

淤(お)能(の)碁(ご)呂(ろ)嶋(しま)の段
是(ここ)に天(あまつ)神(かみ)諸(もろもろ)の命(みこと)以(も)ちて、伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎの)命(みこと)、伊(い)邪(ざ)那(な)美(みの)命(みこと)、二(ふた)柱(はしら)の神(かみ)に、「是(こ)のただよへる国(くに)を修(つ)理(く)り固(かた)め成(な)せ」と詔(の)りごちて、天(あまの)沼(ぬ)矛(ほこ)を賜(たま)ひて、言(こと)依(よ)さし賜(たま)ひき。故(かれ)、二(ふた)柱(はしら)の神(かみ)、天(あめの)浮(うき)橋(はし)に立(た)たして、其(そ)の沼(ぬ)矛(ほこ)を指(さ)し下(おろ)して画(か)きたまへば、塩(しほ)こをろこをろに画(か)き(な)して、引(ひ)き上(あ)げたまふ時(とき)に、其(そ)の矛(ほこ)の末(さき)より垂落(したたる)塩(しほ)、累(つ)積(も)りて嶋(しま)と成(な)る、是(こ)れ淤(お)能(の)碁(ご)呂(ろ)嶋(しま)なり。

これが「海道東征」の2つ目の小節に当たるところですね。ここに詠(うた)われている「大(おほ)八(や)洲(しま)」は言うまでもなくこの葦(あし)原(はらの)中(なかつ)国(くに)・日本であります。日本列島建設のベースキャンプともなる島・オノゴロシマが「こをろこをろ」と天地を揺るがすばかりの音を立てながら生まれてくる。古代の人々のとてつもない発想だと思います。
「大八洲」の形成は、淡路島、四国、隠岐の島、九州、壱岐、対馬、佐渡、畿内を中心とした本州へと続きます。

そしてこの葦原中国に天(あま)照(てらす)大(おほ)御(み)神(かみ)のお孫さんにあたりますニニギノミコトという御(み)裔(すゑ)が、日向の高千穂のくじふる峰(たけ)に降りてこられた。そのことを、はるか後代の神武天皇の時代から想い起こしているのが3番目の小節のように思われます。「日(ひ)向(むか)すでに/はるかなり我が高(たか)千(ち)穂(ほ)」と。

この「天孫降臨」の場面を「古事記」の原文で申し上げますと、お手許の資料の2枚目、「日(ひ)向(むかの)宮(みや)御(み)鎮(しづ)座(まり)の段」であります。今度はお手許に資料がありますので、よろしかったら私と一緒に声に出してお読みいただきたいと思います。

日(ひ)向(むかの)宮(みや)御(み)鎮(しづ)座(まり)の段
故(かれ)、爾(ここ)に天(あま)津(つ)日(ひ)子(こ)番(ほ)能(の)邇(に)邇(に)芸(ぎの)命(みこと)、天(あま)之(の)石(いは)位(くら)を離(はな)れ、天(あめ)之(の)八(や)重(へ)多(た)那(な)雲(ぐも)を押(お)し分(わ)けて、いつのちわきちわきて、天(あめの)浮(うき)橋(はし)に、うきじまり、そりたたして、竺(つく)紫(し)の日(ひ)向(むか)の、高(たか)千(ち)穂(ほ)之(の)久(く)士(じ)布(ふ)流(る)多(た)気(け)に天(あ)降(も)り坐(ま)しき。
故(かれ)、爾(ここ)に天(あめの)忍(おし)日(ひの)命(みこと)、天(あま)津(つ)久(く)米(めの)命(みこと)二人(ふたり)、天(あめ)之(の)石(いは)靫(ゆぎ)を取(と)り負(お)ひ、頭(くぶ)椎(つち)之(の)大(た)刀(ち)を取(と)り佩(は)き、天(あめ)之(の)波(は)士(じ)弓(ゆみ)を取(と)り持(も)ち、天(あめ)之(の)真(ま)鹿(か)児(こ)矢(や)を手(た)狭(ばさ)み、御(み)前(さき)に立(た)たして、仕(つか)へ奉(まつ)りき。故(かれ)、其(そ)の天(あめの)忍(おし)日(ひの)命(みこと)、(此(こ)は大(おほ)伴(ともの)連(むらじ)等(ら)が祖(おや))天(あま)津(つ)久(く)米(めの)命(みこと)、(此(こ)は久(く)米(めの)直(あたへ)等(ら)が祖(おや)也(なり))
是(ここ)に肉(そじし)の韓(から)国(くに)を笠(かさ)沙(さ)之(の)御(み)前(さき)にまぎ通(とほ)りて詔(の)りたまはく「此(こ)地(こ)は朝(あさ)日(ひ)の直(ただ)刺(さ)す国(くに)、夕(ゆふ)日(ひ)の日(ひ)照(で)る国(くに)也(なり)。故(かれ)、此(こ)地(こ)ぞ甚(い)と吉(よ)き地(ところ)」と詔(の)りたまひて、底(そこ)津(つ)石(いは)根(ね)に、宮(みや)柱(ばしら)ふとしり、高(たか)天(まの)原(はら)に、氷(ひ)椽(ぎ)たかしりて坐(ま)しましき。

今のように、声に出して「古事記」をお読みになると、何となく一味違った感じをお持ちになりませんか。

この「天孫降臨」から神武天皇の時代に至る歳月の経過を、「古事記」はとくに明記しておりませんが、「日本書紀」では179万2,470年余り(約180万年)が経過したと記しております。これを聞いて「出鱈目をいうな」というのは科学的な考察であり、「そうなのか。すごいな!」と感じるのは神話を神話として受け止める姿勢でありましょう。まあ、私も多少、これは誇張であろうとは思いますが…。

そして第4小節に入ってゆきます。
この4小節目で、「天地の初発」にはじまる「皇(すめら)産霊(むすび)」による大きな流れがいよいよ満を持して、大和への出立・東征となる。それもまた「窮み無し天(あま)つみ業(わざ)」であると歌い上げているのではないでしょうか。
高天原に三柱の神がご出現になり、イザナギノミコト・イザナミノミコトによって国生み・神生みがなされ、ニニギノミコトの高千穂の峰への降臨となる、そして神武天皇の時代に至り、「天(てん)業(げう)恢(くわい)弘(こう)」、つまり「天つみ業(わざ)」の達成・日本国の肇(ちょう)国(こく)に向けて、「海道東征」が始まろうとする。
それは決して、偶然・別々のこととして行われたわけではない。元をたどれば「皇(すめら)産霊(むすび)」の「霊(くし)び」」による「窮(きは)み無(な)し天(あま)つみ業(わざ)」であると、諸声を挙げて祝っているのだと思います。

2枚目の資料の後半に記載しております「白(か)檮(し)原(ばらの)宮(みや)の段(くだり)」は割愛いたしますが、この部分は、これは「海道東征」の第一章から第七章に相当する「古事記」の原文であります。またお暇のある時にお読みいただければありがたく思います。

「海道東征」の伝えるもの
残された時間も少なくなりましたが、お手許の資料の3枚目の「産経新聞」の記事をご覧いただきたいと思います。
そこに当日の公演をお聴きになったお2人のご婦人の感想が記されております。

〈その荘厳な響きに聴衆約1300人は魅了され、演奏が終わると拍手が鳴りやまなかった。86歳の女性は「もう一度聞けるとは思わなかった」と涙ながらに語った。春日氏の妻、信子さん(62)は「今の時代にようやく演奏できたのは日本人が日本人の良さを見直すようになったからだと思います。これを機会にもっとこの名曲が広まってくれれば…」と語った。〉

まことに心を打たれる感想であります。これが歴史に共感するということではないでしょうか。お2人の方々は、そうしたものを今もしっかりと持っておられる。このことを、後に続く私どもがしっかりと受け継ぎ、それをまた次の世代に伝えてゆかなければならない。そんな思いをあらためて強くするのであります。

それでは唐突のようでありますが、資料の1枚目に記載しております、後(ご)花(はな)園(ぞの)天皇の御製をご紹介して私の拙い話の締めくくりとさせていただきます。

  独(ひとりして)述(じゅつ)懐(かい)
思へただ空にひとつの日の本にまたたぐひなく生れこし身を

「たぐひなく」というのは、「比べるものがない」、「並ぶものがない」ということでありますが、「何と不思議なことだろう」と置き換えてみてはいかがでしょうか。

以上、まことに拙い話をご静聴いただきましてありがとうございました。


次回の卓話
4月18日 「国際援助の現場 イエメン共和国にて」
      緒方 夕佳氏
4月25日 「陸軍幼年学校雑感」
      熊本偕行会名誉会長 牧  勝美氏
5月2日 「未定」
      熊本県退職校長会会長 中村 貞夫氏
5月9日 「師範教育を思う」坂田 充人氏
5月16日 「日本的霊性~神宮式年遷宮」
      藤崎八旛宮権宮司 岩下 通弘氏
5月23日 「松本唯一先生の思い出」
      公益社団法人国民文化研究会元参与   
      折田 豊生氏
5月30日 未定
6月6日 「企業の危機管理~強まる経営陣の役割~」
      産経新聞社取締役西部代表 鶴田東洋彦氏


広報・スマイル・クラブ会報合同委員会
平成26年4月8日(火) 於「Sports居酒屋バリ」

週報No.39 4月11日号


クラブ行事
5月10日(土)「第4回井上会長杯ゴルフコンペ」
      集合8:40 スタート9:12
      熊本阿蘇カントリークラブ湯の谷コース
5月23日(金)「いいむし会」
      18:30~ 松葉
7月11日(金)「千葉康博幹事慰労会」
      18:30~ 菊本

市域・地区行事
4月19日(土)「熊本東南R.C.創立30周年記念式典」
      式典15:00~ 祝宴18:00~
      熊本ホテルキャッスル
4月20日(日)「第2770地区(埼玉南東)・第2720地区(熊本・大分)RYLA(ライラ)委員会交流会」
      19:00~ 城見櫓
5月17日(土)「天草中央R.C.創立30周年記念式典」
      記念講演 14:00~14:45
      式  典 15:00~15:45
      記念公演 16:00~16:50
      天草市民センター 大ホール
      祝  宴 17:40~19:30
      ホテルアレグリアガーデンズ天草
5月17日(土)「地区次期広報・IT研修会」
      13:30~16:30
      グランメッセ熊本 2F大会議室
5月24日(土)「宇城R.C.創立10周年記念式典」
      例  会 14:30~14:50
      記念式典 14:50~15:50
      記念講演 16:00~17:00
      祝賀会 17:20~19:00
      松橋ホワイトパレス
5月24日(土)「地区次期広報・IT研修会」
      13:30~16:30
      コンパルホール3F300会議室
6月14日(土)「日田R.C.創立50周年記念式典」
      記念式典 14:00~17:30
      日田市民会館「パトリア日田」やまびこホール
      祝賀会 18:30~20:30
      三隈川遊船
6月15日(日)「日出R.C.創立30周年記念式典」
      記念式典 13:30~16:20
      祝賀会 16:30~18:30
      別府湾ロイヤルホテル
7月13日(日)「熊本東R.C.創立50周年記念式典」
      式典 16:00~18:00
      祝宴 18:00~19:30
      熊本ホテルキャッスル
      2F「キャッスルホール」

熊本火の国ローターアクトクラブ
4月例会 熊本市中央公民館(第2、4(火))
4月22日(火)20:00~
地区行事


鎮西高校インターアクトクラブ


《今週の会報担当  渡邊 義朗会員》



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Posted by 熊本ロータリークラブ事務局 at 17:59│Comments(0)週報
 
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