2012年08月25日

週報No.7 8月17日号

■会長の時間
目黒 純一会長
司会進行 柳邉 俊雄幹事

歌  唱 君が代、海
髙森 郁子ソングリーダー
卓  話  者 熊本日日新聞社編集局文化生活部記者
浪床 敬子氏
■会長の時間     目黒 純一会長
朝の連続ドラマ「梅ちゃん先生」で、テレビを買うか、買うのはまだ早いという場面が昨日、今日やってましたが、テレビジョンの始まりですね。私は昭和28年(1953年)当時新市街にあった銀丁百貨店でNHKのカラーテレビジョン実験放送の状況を見たことがあります。鈴木健二アナウンサーが熊本中央放送局の勤務でこの実験放送に出演してました。あの大きな口に、すしのにぎりを3つ放り込んだ状況が実験放送で映し出されたのをおぼえてます。
いつでしたか、泉 冬星会員が「上通りでテレビが早く来たのは武本洋装店だった。みんなで見に行きましたよ」と話しておられました。テレビジョン放送の始まりであると同時に、電化時代の始まりであります。そして電気の需要の増加が始まったのです。それから60年、今度のオリンピックのテレビの映像・放送は、地デジ・BSともに大型画面の迫力素晴らしいものでしたね。
ロンドンオリンピックは17日間の日程を終わりました。開催国の国民ロンドン市民が「この国(開催国)に生まれてよかった」とテレビのインタビューで答えてました。選手ではなくオリンピックを開催したことが国民にとってよかったという証拠です。2020年東京都での開催招致への国民の関心をもっと高めるべきですね。さて、2016年―4年後―リオデジャネイロ大会、どうなるでしょうか。ブラジルはのんびりした国民性を持った国。アスタ・マニャーナ――「また明日」の習慣がどう影響するか。
ロンドンでの出来事で、体操の内村選手のあん馬の競技の時のイギリスの人びとの母国選手への声援のため演技に集中できなかったと本人が言ってました。済々黌の甲子園での応援――『団結』はすごいですね。5,200人、いや、6,000人だったとも聞きました。他の高校では簡単にはできないことですね。
ところで、先週ガバナー公式訪問、ご協力有難うございました。第2720地区ロータリアンの団結がより一層大切になってきます。来週はガバナー補佐の訪問です。我が熊本ロータリークラブの団結力を見てもらうためにも、例会出席をよろしくお願いいたします。
入会2ヶ月以内会員紹介柳邉 俊雄幹事
栗原 幸宏会員(第一生命熊本支社)

■出席報告
出席委員会



7月出席率報告 西村 浩二出席委員長
7月6日   96.20%
  13日   97.40%
  20日   92.21%
  27日   92.31% 
平均     94.53% 

出席100%表彰(8月)    西村 浩二出席委員長
福田  稠会員 31年
竹下  清 〃  25年
村本  亮 〃  16年

週報No.7 8月17日号


■幹事報告     柳邉 俊雄幹事
・’81年度ロータリー財団奨学生 高橋侑子氏より、残暑見舞いと災害のお見舞いのはがき
◎来信案内
・熊本県国際協会事務局:熊本県国際協会ミニ情報誌 No.444号
・認定NPO法人さいたまユネスコ協会:ネパール奨学支援プロジェクトのお知らせ
◎例会変更
・熊本水前寺公園R.C. 8月22日(水)の例会は、8月22日(水)18:30~ アークホテル熊本にて
・熊本’05福祉R.C. 9月11日(火)の例会は、県民総合運動公園早朝清掃の為、9月11日(火)6:30~ 総合運動公園駐車場集合

■スマイルボックス     大谷  均副委員長
目黒 純一、山邉 俊雄、千葉 康博会員  熊本日日新聞社文化生活部の浪床敬子様のご来訪を歓迎いたします。卓話を楽しみにしております。また、熊本県代表済々黌高校の甲子園初戦突破を祝してスマイルいたします。この調子で三回戦も勝利されることを祈念いたします。
中村 展教会員  熊本日日新聞社文化生活部 浪床敬子様のご来訪を歓迎致します。熊日創立70周年記念事業として、熊本県立美術館にて開催されている「生誕450年記念 加藤清正展」も昨日の16日に入場者が1万人に達したそうです。9月2日までですので、本日の卓話を聞いて早々に出向きたいと思います。女性目線から見た清正の卓話楽しみにしています。
松木 良介会員  熊日文化生活部、浪床さんの卓話ご来訪を歓迎いたします。
村上 憲誠会員  家内の誕生日に花をいただきありがとうございました。お陰様でなんとか夫婦円満を続けています。
山内  武、布田  昭、牛嶋 正弘、山田 哲大、服部 正裕、大谷  均、三浦  勲、村上 憲誠、伊豆 英一、與縄 義昭各会員  やりました。済々黌、鳴門高校を撃破して3回戦進出しました。打倒大阪桐蔭! 明日、布田会員が我々の祈りを一身に背負って応援に行かれます。明日は午前10時30分プレイボールです。キセキを信じて、皆様も応援をよろしくお願いします。

■本日の卓話
卓話者紹介 中村 展教例会プログラム委員長

浪床 敬子様
熊本日日新聞社 文化生活部
平成6年3月 熊本大学文学部卒業
    4月 熊本日日新聞社に記者として入社
平成7年3月 政経部の経済担当
平成9年3月 編集本部勤務
平成14年3月 社会部の川辺川ダム担当
平成16年3月 政経部の県政担当
平成18年3月 植木支局長
平成21年9月 文化生活部で歴史担当(現在に至る)

「取材で見えてきた新たな清正像」
熊本日日新聞社編集局文化生活部記者
浪床 敬子氏


週報No.7 8月17日号

①簡単な自己紹介
熊本日日新聞文化生活部の歴史担当の記者をしております浪床と申します。今年は肥後54万石の礎を築いた加藤清正の生誕450年ということで、今年1月から、県立美術館学芸員の山田貴司さん、八代市立博物館学芸員の鳥津亮二さん、延岡市教委学芸員の大浪和也さんという清正文書を研究している若手研究者3人と一緒に、熊日朝刊の文化面で毎週金曜日に掲載されている「古文書が語る清正像」という連載に取り組んでいます。ただ、プロフィールを見られて分かる通り、これまでさまざまな分野を担当してきまして、決して歴史を専門としてきたわけではありません。むしろ、平成21年9月に文化部に配属されるまでは歴史と縁遠い感じでして、こういった場で加藤清正の歴史について語っている自分にちょっと場違いではないかと感じているほどです。
ではなぜ、私がこんなに歴史や古文書の面白さにはまったかと申しますと、一昨年の細川家文書を取材したのがきっかけでした。細川家には織田信長をはじめ、豊臣秀吉や徳川家康、明智光秀などそうそうたる歴史上の人物が細川家に出した書状がたくさん残っていまして、熊本大学の永青文庫研究センターでそうした文書の調査を進めているという情報をキャッチし、こんなすごい人たちの書状ならちょっと読んでみたいなと思って話を聞きに行ったのが最初の出会いでした。熊本大学永青文庫研究センターの稲葉継陽先生から信長などの書状の中身について解説をしていただいているうちに、信長や家康たちの生々しいやりとりや当時何を考えて行動していたかなどが分かり、その時代にタイムスリップして、信長とか家康とか歴史上の人物たちと対話しているような気分になり、さらに新たな史実が見えてくるという面白さに魅了されていきまして、素人の私が面白いと思うものはきっと一般読者も面白いと思ってくれるはずと、稲葉先生の監修のもと、信長を中心に秀吉や家康らの発給文書約30通を読み解いていって、没後400年の細川家初代幽斎の生涯と信長の天下統一の過程を探る企画「武将幽斎と信長」という連載を企画しました。これは好評な連載となりまして、翌年出版化もされました。

②清正の連載を始めたきっかけ
さて、今年は加藤清正の生誕450年ということで、県内でもさまざまなイベントが開かれていますが、今回取り組んでいる清正の連載の意義などについて少しお話をしたいと思います。
清正というと熊本では「清正公さん」として親しまれ、知らない人はいないほど有名人です。全国的にも人気の高い武将で、たくさん本も出ていますし、最初はいまさらこんな誰もが知っている有名人の清正の実像に迫るといっても、目新しいことなんてないんじゃないかと思っていたんですが、よくよく学芸員さんたちに話を聞いてみると、清正の研究というのはとても遅れているということが分かったんです。実はこれまで出されている清正に関する本というのは、清正が死んだ後に作られた伝記に基づいた内容がほとんどで、清正が生きていた時代の古文書類(一次史料)をきちんと網羅して調査して実像を探った学術書というのはないということでした。清正関連の文書、加藤家が改易されたことなどもあって、全国各地の博物館や歴史資料館、個人の家などに散在していまして、時間や費用、手間などの問題から、いままで総体的に研究されてこなかったようです。さらに、清正は死後に神格化されてさまざまな英雄像が定着していきますので、そのイメージをなかなか崩しにくいというのも研究が進んでこなかった要因の一つかもしれないということでした。
そういった背景の中で、全国に散在する清正文書の全体像の研究に挑んでいるのが、さきほどお話しした3人の若手研究者で、その話を聞いた私は、生誕450年という節目の年に、彼らの研究成果を紙面で分かりやすく紹介して、最新研究から見えてきた新しい清正像を探っていったら面白いんじゃないかというのが、今回の連載を始めたきっかけです。全体で40回を超える連載で今30回近くまで来ていますが、「面白く読んでいます」と好意的な反響が多く寄せられていましてほっとしています。ただ、先ほど清正の文書は全国に散在していて研究には手間と費用が掛かると申し上げましたように、連載で文書を掲載するにあたっても40ヶ所近くの所蔵者とやりとりをし、掲載料を取るところもありますから、この連載をするにあたっても手間ひまと費用も掛かっています。
細川文書の連載の時もそうだったんですが、研究者レベルで語られた研究成果は、やはり一般読者には難しく感じられがちです。だからこそ、歴史の素人の私が率直に感じた歴史の面白さを一般読者の視点で、そして一般読者のレベルまで分かりやすくかみ砕いて伝えたいというのが今の私の原動力になっていまして、今回の清正の連載もそういった感覚から生まれました。

③見えてきた新たな清正像
では、この連載の取材を通して見えてきた新たな清正像についてお話ししたいと思います。
まず、清正は尾張国愛知郡中村というところで生まれ、幼名は「夜叉若(やしゃわか)」で、子どものころから身長が190センチを越えてずば抜けて強かったなどと言われていますが、これは後世に書かれた伝記に基づくもので、清正の名前が確かな歴史資料に登場するのは18歳(数え19歳)の時からなんです。それ以前の清正のことを記している一次史料はなく、実は幼少期は謎に包まれているんです。
しかも、皆さんの中でも加藤清正というと、戦に強い勇猛な武将で、土木事業や築城技術に長けているスーパーマンのような人物かと思いますが、清正文書から見えてきたのは、突然肥後の領主に大抜てきされ、縁もゆかりもない肥後にやってきて、秀吉の期待に応えようと必死に努力し、思い悩んだりする人間らしい姿でした。たかだか4000石程度の秀吉の一家臣から、突然、大名として肥後国19万5000石を任され、うれしい気持ちの半面、大名として秀吉の期待に応えられる行政運営をしなければなりませんから、相当なプレッシャーがあったと思います。
家臣の多くも肥後で召し抱えることになりますが、今も昔も一緒で、肥後で召し抱えた家臣や地域社会は、いきなりやってきた若い大名の清正をすんなりと受け入れたわけではなかったでしょうし、清正の前に肥後領主となった佐々成政は強引な行政運営をしたことから地元勢力の反発を買って大規模な一揆が起きて混乱を招いてしまい、秀吉から切腹させられています。清正のような取り立てられて大名になった者は、失敗をすれば命取りになってしまいますから、とてつもないプレッシャーの中で肥後の行政運営をやっていたんだなという印象を持ちました。
こうした背景もあってか、清正は実際、肥後の在地勢力や寺社仏閣、百姓たちに非常に配慮した行政運営をやっています。特に、百姓には年貢を納めてもらわなければ国の運営は成り立ちませんから、肥後領主が内定した段階から「百姓たちの生活が苦しければ、決められた年貢率にこだわらず、作柄を見て対応せよ」「百姓たちに無理難題を言うやつがいれば、私に言ってこい」といった指示を出していますし、きちんと彼らの生活が成り立つように気を使っています。
さらに、1600(慶長5)年の関ヶ原の合戦で小西行長の領地に攻め入った時も、小西領の統治を見据えて早い段階から、戦で荒れた小西領の農業や商工業の復興について細かく指示しています。現場を良く知っている非常に行政運営に長けた人物だったのではないかと思っています。
それから、印象的だったのは、清正は意外と繊細で細かい人だなということです。家臣に対しての指示も非常に微に入り細に入り指示を出していまして、悪く言えば、ささいなことまでいちいち指示していて、すべて自分が指示して判断を下さないと気が済まないというワンマンな政治スタイルだったように感じられます。ただ、それは肥後をうまく統治しなければならないという清正の責任感からだったのではないかと思います。
まだまだ取材を通して見えてきた清正の新しい顔はたくさんありますが、今日は時間も限られていますので、あとは11月までつづく連載を読んでいただければと思います。

④熊本の歴史研究拠点整備の必要性(清正展の紹介も含めて)
最後に一つだけ、お話ししたいのは、熊本にはこうした細川家や加藤家のほか、横井小楠、徳富蘇峰など、全国に誇るべき素晴らしい歴史や文化がたくさんあります。作家の司馬遼太郎も熊本の歴史や文化に高い関心を寄せて、「やがて肥後学興るべし」という一文を残しています。しかし、熊本には、自治体ごとや分野ごとの博物館はあっても、熊本全体の歴史や文化の史料を集めて体系的に調査研究したり、全国に発信したりする県全体を網羅した歴史博物館というか、歴史資料館がありません。県を代表する博物館がないのは、全国でも静岡と熊本だけという寂しい現状です。このため、学芸員の人たちは自治体や専門が違えば仕事として調査ができないため、今回の清正文書の研究についてもほとんどプライベートを使ってやってらっしゃいます。こうした若手研究者たちの意欲と努力があって、こういった清正の新たな実像が日の目を見ているわけで、取材を通してほかにもこうした事例がたくさんあるということを実感しました。
隣の県の長崎県では長崎市と合同で博物館を作って「長崎学」の調査研究の成果を全国に発信しており、国立博物館並みの来場者を長崎に呼び込んでいます。熊本でもこうした興味深い調査研究をもっと進め、熊本の誇るべき歴史や文化を全国に発信するためにも、そうした拠点づくりが必要だと強く感じています。

次回の卓話
8月24日 「ドキュメンタリー取材の現場から~」
      熊本放送テレビ制作部ディレクター・プロデューサー井上 佳子氏
8月31日 「創立60周年 熊本空港とボーイング787型機」
      全日本空輸(株)熊本支店支店長
       瀬屑  誠会員
9月7日 「天草宝島物語」
      社団法人天草宝島観光協会会長
       横島 龍一氏



クラブ行事
8月24日(金)「第2回クラブ協議会」(ガバナー補佐訪問)
        13:30~15:30 熊本ホテルキャッスル地階「さざんか」
8月24日(金)「桃花会」
        18:30~ 田吾作
9月7日(金)「新世代奉仕・インターアクト・ローターアクト合同委員会」
        19:00~21:00 KKRホテル熊本

市域・地区行事
9月9日(日)「地区ロータリー財団セミナー」(未来の夢計画勉強会)
        12:30~17:30
        大分県看護科学大学
9月15日(土)「別府R.C.創立60周年記念式典」
        記念式典 14:30~
        祝賀会 17:30~
        杉乃井ホテルパレス2F
9月17日(月)「地区米山記念奨学委員会セミナー」
        13:30~16:10
        くまもと県民交流館パレア9F会議室1

熊本火の国ローターアクトクラブ
8月例会 熊本市中央公民館(第2、4(木))
8月23日(木)20:00~
地区行事
10月13日(土)~14日(日)
      「国際ロータリー第2720地区ローターアクト第28回年次大会」
      1日目 亀山亭ホテル
      2日目 羽田多目的交流館

鎮西高校インターアクトクラブ

《今週の会報担当  柏尾 敬秀会員》



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Posted by 熊本ロータリークラブ事務局 at 12:05│Comments(0)週報
 
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